検索していて気がついた
「人はなぜ検索するのか?」
知らない何かについての情報がほしいから、というのが一番多い答えだと思う。
あとは、そのときに見たい何か(超絶かわいい猫動画とか)を探すためとか、
暇すぎて適当な言葉を入れてみるとか。
でもこのあいだ、ある事について何度か検索をかけていて気がつきました。
途中からわたしは、「自分と同じ意見の人を探して」検索をしていることに。
最初の何件かでヒットした記事をいくつか読むと、わたしの考えとは違うものばかりが並んでいました。
しかもどうやらその意見のほうが、とりあえずウェブ上では多数派であるようで、わたしはいくつかの記事を読むたび、だんだん心もとないような気持ちになってきました。
こんな考えのわたしの方がおかしいのか、と。
それで、気がついたら何度も検索をかけて、わたしと同じことを思っている人がいないのか探していたのでした。
かなり偏った検索ワードで検索をかけ、ようやくわたしと同じ考えが書かれている記事を見つけます。
よかった、わたしと同じことを思ってる人がいた、とほっとしたものの、
自分のやっていることの意味に気づいたとき、
だから何だ、というか
何やってんだろな、って気もしましたが。
「仲間」を探すために人は検索する
でもよく考えたら、これはわりとよくある検索のしかたなんだと思います。
わたしはLGBTでも、車いすの生活をしているわけでも、発達障害でもありません。
日々の生活において、自分が「マイノリティ」だと意識する瞬間というのはわたしはあまりないです。
でももしわたしが日々「マイノリティ」であることを意識せざるをえないような状況にいたら、やっぱり検索するでしょう。
自分と同じような境遇の人を探して。
自分と同じような境遇の人が何を考えてどんなふうに生活しているか、探すと思います。
今回はたまたま自分が、一瞬「マイノリティ」側になったと感じたので、そのことが体感としてわかったというか、
わたしが感じた思いのもっと切実なバージョンをもって検索バーに何かを打ち込んでいる人たちもいるんだろうな、と想像しました。
まぁマイノリティであるかどうかに限らず、自分と同じような人をネット上で見つけて、ほっとしたりうれしくなったりする、ってことはよくある気がします。
てことはブログを書き続けることはやっぱりいいよね。という普通の結論
「仲間」を探して検索する人はわりといる。
と思うと、
「ブログ」という手段で発信し続ける人たちがいるのって、なんだか心強い。
ひとつひとつのブログが小さな島みたいにあって、ときどきそこにいろんな人がたどり着いてそのまま居ついたり、別の場所へ旅立ったり。んでまた戻ってきたり。
ブロガーのみなさまが、「まだ見ぬ誰か」や「現住民」のために小さな島をこしらえてせっせと手入れをしているのだと思うと、なんだかいじらしいような。
わたしも含めてブロガーの多くは、大きくて豊かな島に憧れたりしますけども、
小さな島の存在こそが、ある人にとっては救いになったりするんだろうな。
とも思ったり。
なにはともあれ今日も検索して、今日もブログを書く。ってことですね
なんかこういうのよくわかんない。