こまだこまのロバの耳ブログ

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自己肯定と自己受容の違いについて考える

勘違いされがちな「自己肯定」と「自己受容」

 

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先日書いたこの記事のつづきというか、障害者の方について考えていたら「自己肯定」と「自己受容」の違いというところに行きついたので、それについてもう少し考えてみようと思います。

 

 

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ちまたでは「自己受容」よりも「自己肯定」という言葉のほうがよく使われているような気がします。

わたしも「自己受容」という言葉は、一時ブームになったアドラー心理学に関する本、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』で知りました。

 

でもこの二つの言葉の意味の定義は、使う人によって微妙に違っていたり混同されていたりします。

 

わたしはこの二つの言葉について、かんたんに言うと

「自己肯定」→自分に対して無理やりポジティブな意味づけや解釈をすること。

「自己受容」→自分をそのまま受け入れること。

だと考えています。

 

アドラーの例で言うと、テストで60点をとったときに、

「本来の実力なら100点とれる、今回はたまたま調子がでなかっただけ」と言い聞かせるのが「自己肯定」

「今の自分の点数は60点」と、そのまま受け入れるのが「自己受容」

ということになります。

 

これは、どっちが楽かといえば「自己肯定」の方が圧倒的に楽なんだと思います。

できない自分や弱い自分から目をそらして、なかったことにしているから。

楽なだけに、これはわたし自身もよくやってしまいがちな考え方で、この考え方はクセみたいなもので、わかっていてもなかなか直りません。

 

 でも、NHK『ココズレ2』と2017年11月5日放送の NHK『バリバラ』を観終わっていろいろと考えをめぐらせていると、「自己肯定」についてまた違った考えがわいてきました。

 

「自己肯定」は自分を苦しめる

先にあげたわたしの過去記事にも書きましたが、ハライチ岩井が障害者の方たちに、

「障害がなくなるかわりにほかの誰かが障害者になるとしたら?」

という質問をしたときに、障害者の方の多くは怒ったり拒否反応を示しました。

 

これは、ハライチ岩井が障害を「悪いもの」であるという前提として質問したから、ともとれますが、結局のところ、障害者の方たち自身が障害を「悪いもの」だと思っているということだと思います。

彼らが障害を本当に心から「個性」などの「良いもの」と思っていたとしたら、「良いもの」を人にあげますか?という質問に怒る必要はないからです。

 

彼らが怒ったのは、無自覚であるにせよハライチ岩井の質問が、自分たちの「自己肯定」という「ウソ」に光を当ててしまったからだと思います。

 

そしてそれを見てわたしが感じたのは、

「自己肯定」は「楽」だけれど結果的には自分を苦しめるんじゃないか。

ということです。

 

自分の意にそぐわない現実をそのまま受け入れることはとてもつらい作業なので、 無理やりポジティブな意味づけをしていく「自己肯定」の方が楽に思えるし、わたしもよくやってしまいます。

 

でもそれは結局「ウソ」です。

本心ではそう思っていないからこそ、強い「自己肯定」を必要としているんだと思います。

そして自分にウソをついて自分をだまし続ける、ということは結果的には自分を苦しめるし、むしろそのことへのこだわりを強めて自分を縛ることにもつながってしまうんじゃないか、と感じました。

 

じゃあどうやったら「自己受容」できるのか?

んなこと言ったってじゃあどうすりゃいいんだよ、と思います。

無理やり「自己肯定」でもしなきゃやってらんねぇんだよ。っていうつらい出来事は、誰しも生きてればいくらでもありますし。

 

と思ってたらまたもや NHK ですが、『100分 de 名著』という番組でラッセルの『幸福論』をとりあげていたのをたまたま見ました。

『幸福論』は読んだことありませんでしたが、解説を聞いているとなんだかアドラー心理学に共通する部分があるような気がします。

 

番組を観ていて印象に残った言葉が、

「外へ逃げる」

これは、『幸福論』を読んだ伊集院光さんの言葉ですが。

 

つらいときって自分のことばっかり考えて、関心が内へ内へと向かっていってしまったり実際にひきこもってしまったりしがちけど、それではますますそのことにとらわれることになるだけだから、よくない。

 

関心を外へ向けて、「外へ逃げる」

 

人間誰しも一番興味があるのは自分だと思いますが、その関心を自分以外の外界に向けて自分に埋没することをふせぐというか、自分を客観視したり相対化する、ってことが「自己受容」にもつながっていくのかなあ…と、ちょっとだけヒントを得たように思いました。

とは言えむずかしいですけどね、そんなの。

 

「幸福論」で検索したら出てきたんでつい貼っときます。

難聴のせいで人付き合いを避けてきた航平と、屈託のない態度で彼の心を徐々に開いていく太一。『ひだまりが聴こえる』の続編です。ちょっとBL風味。

航平が「自己受容」していく物語でもあるので、意外とこの記事と関係ないわけじゃない。はず。