こまだこまのロバの耳ブログ

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『目の見えない人は世界をどう見ているのか』/伊藤亜紗 「常識」がくつがえされる痛快さ。

目隠しをしても「見える人」は「見えない人」の体を体験できない

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「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を目が見える人が考えるとき、目隠しをすればそれが体験できるのではないか、というのは自然な考え方のように思いますが、著者はそれを、「大きな誤解である」というところから、この本ははじまります。

 

見える人が目をつぶることと、そもそも見えないことはどう違うのか。見える人が目をつぶるのは、単なる視覚情報の遮断です。つまり引き算。そこで感じられるのは欠如です。しかしわたしがとらえたいのは、「見えている状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態」ではありません。視覚抜きで成立している体そのものに変身したいのです。そのような条件が生み出す体の特徴、見えてくる世界のあり方、その意味を実感したいのです。

 

著者はこれを、4本脚の椅子と3本脚の椅子の違いにたとえています。

もともと4本脚で立っているイスから脚を1本とってしまえば、椅子はバランスを失って倒れてしまい、それは不完全な椅子。

でも、そもそも3本脚で立っている椅子もある。脚の配置を変えれば椅子は3本脚でも立てます。

見えない人たちもそれと同じように、視覚なしでも立てるバランスを見つけているということ。目の見えない人は世界をどう見ているのかを知ろうとすることは、

 

脚が1本ないという「欠如」ではなく、3本が作る「全体」を感じるということです。

 

言われてみれば初歩的というか基本的な考え方かもしれませんが、いきなりハッとさせられました。

そしてこの本にはいくつもそういう部分があって、単純に「目が見えない人の世界の見え方」って面白い!と読みながらずっとわくわくします。

視覚がないから死角がない

見えない人の世界の見え方について著者は、「空間」「感覚」「運動」「言葉」「ユーモア」の5つの章にわけて書いていますが、わたしがいちばん面白いと感じたのは第1章の「空間」でした。

 

  • 見えないと、コンビニに行っても余計な商品に惑わされず買いたいものだけを店員さんに伝えて買うという買い方になる。
  • 見えない人の部屋は余計なものがなく、きちんと整理されていて片付いている。なぜなら、物がなくなると部屋中を触って探さねばならず大変だから。そうならないよう、あらゆる物の「置き場所」が決まっている。

 

などは、見えない人の具体的な日常生活に関する想像ってちゃんとしたことなかったなぁ…と気づかされたり、

 

  • 見える人は3次元のものを2次元化(平面化)してとらえている。見えない人は、視覚がないので特定の「視点」が存在しないため、3次元を3次元のままとらえている。視覚がないから死角がない。
  • 3次元を3次元のままとらえる、ということは、見えない人にとっては「表」も「裏」もない。「裏」に対して「表」のほうが格上、という考えがない。
  • 同じことが「内」と「外」にも言える。見える人にとっては、「内」は見えない側、隠された側だが、見えない人にとってはそこに違いはなく、等価。

 

視覚がないから死角がない!

たしかにーーー。

目からうろこがばりばり落ちます。

そーか、そーだよな、なるほどなー、と新しい世界が開けていくような爽快さ。

見える人にとっては意識にすらのぼらないほど「当たり前のこと」が、見えない人からすると全然そうじゃない。

逆に、「見える」ことによって考え方にある種の縛りができているのだということにも気づかされます。

そうやって自分の「当たり前」がくつがえされていくことが、とても痛快です。

 

そもそも「見る」とは、目の専売特許なのか?

見えない人がどんなふうに「見て」、サーフィンやサッカーや絵画の鑑賞をするのか?

 「回転寿司はロシアンルーレット」!

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すべての章がたくさんの驚きと発見に満ちていて、本の帯に書かれている

「<見えない>ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれること」

という言葉が、本書を読み終わったあとはとてもしっくりきます。

 

見える人の世界と見えない人の世界。

本書に登場した視覚障害者の木下さんのように、もっと気軽に、「そっちの世界」も面白いねぇ!ってお互いが言い合えるようになったらすごく楽しいんじゃないでしょうか。