一人で暮らす、ということ
一人で暮らす。
それは、部屋が「わたし」で充満する、ということだ。
鳥取の山奥からのこのこ東京へ出てきて、はじめて一人で暮らしてみてしばらくしてそのことに気がついた。
まだ友達と呼べる人も彼氏もいないわたしの部屋には、当たり前だがわたしが選んだものしかない。
テレビ台にするためにリサイクルショップで買った椅子も、組み立てに苦労した本棚も、そこに並べられている本も、冷蔵庫の中の野菜も、テーブルの上のお菓子も、どれもぜんぶわたしが選んで、この部屋へと持ち帰ってきたものばかりだ。
ここには、おじいちゃんが旅行先で必ず買ってくる地名が書かれた提灯も、おばあちゃんが買い置きしている三ツ矢サイダーも、お母さんが買ってくるわけのわからないまずいお菓子も、お父さんの一升瓶も、弟が読み散らかしている大量のマンガも、ない。
この部屋には、わたしが選んだものしかない。
そう気づいたら、なんだか急にすごくつまらないような、息苦しいような、気持ち悪いような気がしてきた。
この部屋、わたしでいっぱいかよ……。
げげげ。
なんてちっぽけで、なんて意味のない、なんて無力な18の夜……。
なんとなくお母さんがいつも買ってくるまずいお菓子が食べたくなってきて、明日買いに行こう、と思った。
他人が入ってくることが楽しい
日々の生活のいろんな部分で、自分じゃない要素がたくさん入ってくるってことは楽しくていいことだから、どんどん主体性をなくしていこう!積極的な受け身!
と考えるようになったのは、このときの気づきがきっかけになっている、かもしれない。
家族といることが当たり前で、自分以外の人が選んだものが当たり前に家のなかにあふれていて、それに対してなんでそんなセンスのないものを買ってくるんだと、ときどきうっとうしく思ったりしていた。
でもいざ自分の選んだものたちだけに囲まれて暮らしてみると、なんてつまらない部屋なんだろうとうんざりした。
わたしなんて高が知れている。
どこまで行ってもわたしはわたしでしかない。
つまらない人間なんだから、他人がどんどん入ってくる方が面白いに決まってる。
自分のなかに、他人が入るスペースをいっぱいあけておこう。
そんなふうに考えるようになった。
その他、とくに贅沢もせずふつうに生きてるだけでこんなにお金ってかかるのかとか、親と祖父母のありがたみとか、新聞の勧誘こわいとか、ゴキブリやっつけんの無理無理無理とか、はじめて一人暮らしをすると誰もが思うことはひととおり、わたしも経験した。
でもやっぱり一番大きかったのは、自分がつまらない人間だと気づけたことだった。
一人暮らしをしていなければ、気づくのがもっと遅くなっていたかもしれない。
部屋選びも、暮らし方も、全然上手じゃなかったけれど、確実に今のわたしの大事な部分をつくった時間だったんだな、と今では思う。