その人が「何をやらないか」に気づくことは大事だと気づいた酒飲み
わたしは長いこと飲食店で働いていたし飲みに行くのも大好きなので、
お酒の席でのいろんな人の、いろんなふるまいをたくさん見ました。
- 他のお客さんに迷惑になるくらい大声で話す
- 知らない人に空気を読まずからみまくる
- 一気飲みする。
- お酒のウンチクばっかたれる
- 説教がとまらない
- 自慢話がとまらない
- お会計が終わってもなかなか帰らない
- 閉店時間が過ぎてもなかなか帰らない などなど。
これらの人たちは、わたしがお店で働いていたり、お客として飲みに行ったときに、
「やんなっちゃうなぁもぅ」
と思う行動リストです。
こういう人たちを見るたびに、
そーいえばわたしの彼氏や、数少ない友人たちはこんな飲み方しないよなぁ
だから最後まで気分よく飲めるんだよなぁ
さすがよなぁ
などと思っていました。
そして、そんなことをたびたび思っているうちに、ハッとしました。
その人が「何をやるか」、よりも「何をやらないか」の方が大事なんじゃないか?と。
なんなら実はそれこそが判断基準なんじゃないかと。
でも、その人が「何をやらないか」ってことにははなかなか気づけません。
だって「やってない」から。
「やってない」ことの良さは、こっちが意識していないとなかなか見えてこないんだ!ってことにそのとき気づきました。
酒の席でのふるまいに限っては、「やらかしちゃってる」人をたくさん見たからこそ、わたしは「やってない」人たちの良さをあらためて再発見できた。
でもこれって、他のいろんな場面でも似たようなことはいっぱいあって、
気づいてないことのほうが多いんだろうなぁ、って思いました。
バカはだまっていられない
それをやらないことの良さ、ということで言うと、ネットがすごくわかりやすいんじゃないかと思います。
ツイッターやコメント欄などで相手にむかってマウンティングしたり、中傷をしたりしている人を見るといつも思うのが、「バカはだまっていられない」
そんなこといちいち言わなくても黙ってりゃいいのにね。ってことを得意げに言ってしまっている人を見ると、なんともいたたまれない気持ちになります。
それらのコメントがずっとネット上に残ることを思うとなおさら。
そんなことを言わない、しない人たちの存在の方にこそ本当は目をむけるべきなんですよねきっと。
「やらない人」の良さに気づける自分でいたい
ネットだと文字として見えるので比較的わかりやすいかなーと思うんですが、
たとえば何かで落ち込んでいるときに、何も聞かないでいてくれるとか、余計なことを言わずにほっておいてくれるとかっていうのもやさしさで、
でもそういう「やらないこと」の良さみたいなものってわりと気づかなかったり見落としがちで、やっぱり何か「やったこと」のほうについ意識はいっちゃうものなんじゃないかなーと。
「言わないこと」
「書かないこと」(ブロガーここ大事)
「やらないこと」
その人が「何をやったか」よりも、「何をやらないか」ということのほうにこそ、その人の本質があるのではなかろうか?
って言ったら言い過ぎでしょうか。
「雄弁は銀、沈黙は金」って言いますし。
ちょっと意味ちがうか?
まぁ、余計なことを「やらない」ってのも難しいもんです。
あ、
「他人の携帯を見ないこと」
ってのも重要ですね!
これやられたらひきます。
その人が「何をやらないか」って気づきにくいから評価もされにくいですけど、
きっと大事なこと。
そこにちゃんと気づけるような眼を持っていたい!と思ったのでした。
そーいや『HUNTER×HUNTER』で、
「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」
ってゴンが言ってましたけど、
それとも似てますかね。
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