いちいち笑える異色の文学的料理エッセイ
1977年、ソ連からアメリカに亡命(移住)したふたりの文芸批評家、ピョートル・ワイリとアレクサンドル・ゲニスによって書かれた文学的料理エッセイ。
「マクドナルドやバーガーキングの世界に閉じこもるな」と、アメリカに暮らしながら本物のロシア料理のレシピを読者に伝授すると同時に、アメリカとロシアの食文化を通じて文明批評もおこなっています。
なんていうとなんかちょっと難しそうな気がするかもしれませんが、とにかく笑える本でした。
実直でまじめな感じのする部分がそのまま笑いどころというか、料理エッセイでは、というか他のエッセイでもあまり見かけないタイプの笑いなんじゃないかと思います。
笑いをとろうとするようないやらしさがなく、あくまでも実直でまじめなところが面白い。
表紙も、なんとも言えず実直。
レシピもたくさん紹介されていますが、ちょっと日本では手に入りにくいような食材(ビーツとか)やハーブを使うものが多かったり分量がおおざっぱだったりするので、気軽に作れるという感じではないですが、それでも読んでいると実際に作ってみたくなってきます。


レシピによく登場するディル(左)とエストラゴン(右)
ファンタジー小説に出てくるキャラクターの名前みたい…。
名文が多くて誰かに教えたくなる
読んでいるととにかく印象に残るというか笑ってしまう文章が多くて、たくさん引用したくなります。
てことで、わたしがおもしろいと感じた部分をいくつか。
料理とは、不定形の自然力に対する体系(システム)の闘いである。おたま(必ず木製のでなければならない!)を持って鍋の前に立つとき、自分が世界の無秩序と闘う兵士の一人だという考えに熱くなれ。料理はある意味では最前線なのだ……。
仰々しさに笑っちゃうけどなんかかっこいい。
台所に立つ者を勇気づけてくれます。
ボルシチがゴーゴリの散文のように凝ったものだとすれば、ブイヨンにあるのは一種の冷静さ、それからユダヤ的計算高さといってもよいだろう。
ロシア人ならではの比喩もあちこちに。
ジャガイモは、おそらくロシアの献立の中に豊富にあった、数少ない食品の一つだ。平たく言うと、ロシアではジャガイモを毎日食べていた。そのため、ロシア人はジャガイモになれなれしい態度をとるようになった。仲良しだが、いっこうにうだつのあがらない従兄弟とのつきあいのようなものだ。好きな相手にも見下した態度をとることだってある。
なんだろう、この急に本質をついてくる感じ。でも笑える。
ステーキを焼く腕前と言っても、何のことはない。要は、ちゃんとした肉を買う能力があるかどうかである。
簡潔にして明瞭。
そんなにすばらしい家庭料理だが、不思議にも敵がいる。スノビズム、偏見、怠け心だ。家庭料理なんて芸がないと思っている、不健全なやからがいるのだ。
(中略)
家庭料理には、気まぐれ、思いつきそして偶然がつきものである。つまり、インスピレーションということだ。家庭料理では、チェーホフの戯曲のように微妙なニュアンスや気分ですべてが決まる。
日々食べている家庭料理は即興劇だったのだ。
香辛料を使った方が使わないより生活が面白くなる。そんなふうに生活を面白くしてくれるものが、この世にどのくらいあるだろうか。
香辛料、買わなきゃ。
全部で44編の短いエッセイがおさめられているので、たまに適当にパラパラとページをめくって、気ままに読み返したくなる本です。
わたしが買ったのは新装版で2000円。初版本は一時、けっこうな値段がついてたみたいですね。
アマゾンがおすすめしてきたこの本も読みたくなってきた。おのれアマゾン……。
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