こまだこまのロバの耳ブログ

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『夫のちんぽが入らない』こだまさんには『幸せになる勇気』をおすすめしたい

タイトル勝ち感はいなめない

わたしの友人が『夫のちんぽが入らない』の作者のこだまさんと知り合いだとかで、本をすすめられたので読んでみました。

 

内容は、タイトルから想像されるような二人の性生活そのものに関する描写はそんなに多くはありません。

最も多くのページがさかれているのは、こだまさんが教師になって受け持ったクラスが学級崩壊になり、それによってこだまさんが心身を病んでいくというくだりです。

 

わたしはタイトルからこだまさんと夫の「二人の話」が書かれていることを想像していたんですが、読んでみるとほとんど「こだまさんの話」でした。

こだまさんの視線は常に自分の内側ばかりに向けられています。

それがちょっと読んでいてつらいものがあったので、タイトル勝ち感はいなめないかなぁと思いました。

「夫のちんぽが入らないこと」が問題なんじゃない

わたしは勝手に、こだまさんは「最も愛する人とセックスできないこと」がいちばんの苦しみなんだろうという思い込みのもとに、途中までこの本を読んでしまっていました。

でもそれって違ったんですね。

おそらくこだまさんにとっては、「夫のちんぽが入らない」ということ自体よりも、みんながふつうにやっていることがわたしにはできない、「わたしは他の女性より劣っている」という不能感や劣等感こそが最も重要なことだったんじゃないかと思います。

 

そう考えると、いろいろと合点がいきます。

 

ちんぽが入らないというのは「二人の問題」であるはずなのに、夫とのやりとりや夫に関する描写が少なく、自分のことばかりが書かれていること。

こだまさんがネットで知り合った何人もの男性とは問題なくセックスができて、その行為に一時の安らぎを得ていること。

 

まともにできるようになったからといって、その行為が好きになったわけではなかった。しなければいけない、という思いに強く囚われていた。誰でもいいので「君は全然大丈夫」と言ってもらいたかった。

他の男性とはできるのだから「わたしは不能ではない」と確認する反面、

おかしいのは身体ではなくて、心のほうではないか。入らない、入らないと嘆いているけれど、入ってしまったら、それはそれでもっと苦しくなるのではないか。

この描写からは、もはやその不能感や劣等感が自分のアイデンティティと強く結びついてしまっているように感じられます。

夫のちんぽが入ってしまったら「他の人とは違う特別に不幸なわたし」というアイデンティティを失うことになるから、もっと苦しくなる、ってことなんじゃないかと。

「他の人とは違う特別に不幸なわたし」という場所にいることを、こだまさんはみずから選んでいる人のようにわたしには見えました。

 

このことを医者に相談することも頑なに拒否していらっしゃるようですし。

他のことに関してはちゃんと病院に行かれてるんですけどね。

 

そう考えると、

私、夫のちんぽが入らないのですよ。ほかの人のちんぽは入るのに夫のだけ入らないのですよ。夫もほかの人とはできるらしいのです。そんな残酷なことってあります?

(中略)

子を産み、育てることはきっと素晴らしいことなのでしょう。経験した人たちが口を揃えて言うのだから、たぶんそうに違いありません。でも、私は目の前の人がさんざん考え、悩みぬいた末に出した決断を、そう生きようとした決意を、軽々しく違うよなんて言いたくはないのです。

本の最後の方に書かれているこのくだりがしらじらしいというかなんというか、説得力がありません。

だってあなたは「夫のちんぽだけが入らない特別に不幸な自分」が好きですよね?じゃあいいじゃん?って思っちゃうから。

そんなに自分のことばかり考えてないで、もっとほかのことに目を向けてみたら楽しいこといっぱいありますよー!とお節介を言いたくなってしまいました。

 

 

こだまさんのような人には、ぜひアドラー心理学をおすすめしたい。

というのが、最後まで読んだわたしの感想です。

つらいときは内にひきこもらずに外に逃げるといいよ、って書いてあったよ。