こまだこまのロバの耳ブログ

旅行と競艇。ときどき読書。だいたい酒。

2009年にインドのカジュラホでバナナとスポーツドリンクをくれた男性、お元気ですか?ゆめこです。

 アーグラーの駅のホームで出会った日本人男性のこと

2009年の11月、わたしはインドにいた。

タージマハルのあるアーグラーという町から、エロティック寺院群があることで有名なカジュラホという小さな村に向かうため、暗い駅のホームで寝台車が来るのをひとりで待っていた。

 

すると、ひとりの日本人らしき若い男性がわたしを見つけ、おずおずと近づいてきた。「アーユージャパニーズ?」

と聞かれた

「はい、そうです」

とわたし。

わたしはたまに、中国人や韓国人に間違われる。

 

彼はわたしが待っているのと同じ寝台車に乗る予定らしいのだが、この切符で大丈夫なんでしょうか?と切符を見せてきた。

そんなことわたしに聞かれてもわからない。なので、近くにいたインド人をつかまえて聞いてみると、この切符じゃ寝台車には乗れないと言う。

彼はそのインド人とともに窓口へ行き、切符を買いなおして戻ってきた。

 

なかなか来ない列車をふたりで待ちながら話してみると、彼はこれが初めての海外旅行なのだと言う。彼もわたしとおなじで、一か月ほど滞在する予定らしい。

インドを旅するバックパッカーにありがちな妙な自意識もなく、とても素直で気持ちのいい男の子だった。

そのうちようやく列車はやってきて、わたしたちは手を振ってべつべつの車両へと別れた。インドは列車内も混沌としており、自分の席を見つけ出すことさえも一苦労なのだった。

 

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翌朝列車は無事カジュラホへ到着。駅のホームへ降りてわたしたちはなんとなくお互いの姿を確認しあい、なんだかほっとした。他に観光客も少なかったので、彼とリキシャーを相乗りして、村の中心部へ向かうことにした。

そしてリキシャーを降りてから別れるタイミングもなく、同じホテルの違う部屋にそれぞれ泊まることになった。

観光資源はほぼエロティック寺院群のみという小さな村。今はどうか知らないが、当時はホテルもそう多くなかったんだと思う。

 

そこからは行動を共にすることはなく、べつべつに観光した。

ひとりで歩いていると、「エロティック寺院群を観るために女がひとりで来た」ということが村の男性たちの何かを刺激するのか、うざいほどに声をかけられる。

 

寺院に向かう途中、チャイを飲もうとしつこく声をかけてくる村人がいたので、試しにのこのことついていってみた。すると、なにやら狭い店のなかで数人の男性に囲まれ、彼らはにやにや笑いながら一冊の本を取り出した。

『カーマスートラ』だった。

それは毒々しい色づかいで図解たっぷり、古代インドの性愛について書かれた本であった。ぱらぱらとページをめくると、さまざまな体位でセックスをする男女の絵がこれでもかと描かれている。

 

「おまえはどの体位が好きなんだ?」

午前10時である。

いや、夜ならいいってわけでもないんだけど。

おまえら朝から他にやることないのかよと呆れながらも、「えーっとねぇ…」とわたしがわざとらしくページをめくると、村人たちは無邪気に笑った。

旅先で親切にしてくれた人のことは何年たっても思い出す

話が脱線してしまった。

 

まぁとにかくそういう村で、とあることがきっかけで村はずれのある家庭で飯を食っていけとすすめられ、食べたら数時間後にものすごい頭痛・腹痛・嘔吐・下痢・発熱に見舞われたのだった。

ちょうど生理中だったことも良くなかったのかもしれない。

 

嫌な予感はしていたのだ。

その家に向かう途中に、茶色に濁った水が溜められている井戸のようなものを見た。「もしこれが生活用水だとしたらヤバいな…」と思っていたのだが、もしかしたらそれが本当にチャパティをこねていた水に使われたのかもしれない。

好意で出されたものを「ヤバそうだから」と断るのもつまらない、と思い食べた自分が甘かった。

 

ふらふらとホテルの部屋に帰ってトイレにかけこんだ瞬間、自分でも驚くほどの勢いで嘔吐した。リアルマーライオン。さっき体内に入れたものを、体が全身で拒否しているのがわかる。

 

その日の夕方から翌日まるまる一日、ひたすらベッドとトイレの往復、眠っているとき以外は部屋の天井だけを見て過ごした。

だんだんと、「なんで自分はこんなところにいるんだろう」という気持ちになってくる。ひとりでこんなところまで来て一日を無駄に過ごして、何をやっているんだわたしは。

胃の中はとっくに空っぽになっていてお腹がすいてきていたが、何か食べるものを買いに行くのもめんどうだった。

 

薄暗くなっていく部屋のなかでぼんやりとしていると、扉をノックする音がした。

?と思い扉を開けると、例の日本人の男の子であった。

明日この村を発つということで、わざわざあいさつに来てくれたのだ。

そして、よれよれなわたしの様子を見ると、すぐにバナナとスポーツドリンクを買いに行ってくれた。

 

なぜだかわからないが彼はわたしのことを「ゆめこさん」と呼んでいた。

わたしの本名とは全く違う。というか、もしかしたらそもそも名前は聞かれなかったのかもしれない。

夢子?ゲゲゲの鬼太郎の?

夢見る夢子さん、というほどわたしはロマンチックなタイプにも見えないと思う。

なんで「ゆめこ」??

 

なぜ彼がわたしのことをそう呼ぶことにしたのかを、聞かなかったのか、聞いたけど忘れてしまったのか。

そしてわたしは彼の名前を聞かなかったのか、聞いたけど忘れてしまったのか。

連絡先などもちろん交換していない。

 

「ゆめこさん、お大事に、気をつけて」

 

インドは本当に、気をつけなければいけないことがたくさんあった。 

彼の差し入れでどうにかわたしは生き返り、彼が発った次の日に、わたしもその村をあとにしてバラナシへ向かった。

 

******

 

あれから10年近くもたっていて彼の名前も顔も思い出せないけれど、 この出来事は1年に1回くらいは何かの拍子に思い出しているような気がする。

そのたびに、彼はその後のインド旅行を楽しんだだろうか?今はどこで何をしているんだろうか?と考える。

 

旅先で親切にしてくれた人のことというのは、何年たっても思い出す。

そうやって思い出す人が、どこかへ旅行をするたびに増えていく。

そのことは、わたしを豊かにする。

 

 

2009年にインドのカジュラホでバナナとスポーツドリンクをくれた男性、お元気ですか?ゆめこです。